2021年、とあるきっかけから「ミセスグローバルアース」というミセスコンテストに挑戦することになりました。


コンテストには必ずと言っていいほど「スピーチ審査」があります。

今回は「コンテストで叶えたい事」という15秒のスピーチ課題でした。


思いの言語化に取り組む事は自分の気持ちと正面から向き合い、深堀りしていく作業でした。

そして、何日も考えてたどり着いた言葉は


心身共に健康な人々を音楽の力で増やすでした。

特に高齢者の健康な脳を守りたいという想いが強くありました。

それには訳があります。


私の祖母は4年前に亡くなりました。

とても明るくて聡明な祖母でした。

ですが亡くなる前1年ぐらいは認知症が進み、ほとんどコミュニケーションが取れなくなりました。

最終的に入院しましたがそれまではデイケア施設を利用しながらの在宅介護をしておりました。



主に介護に携わっていたのは私の母です。

しかし私も一緒に暮らしておりますので、出来る限りその介護を手伝いました。

この経験を通して私は「介護する側」と「される側」を近くで見る事が出来ました。


双方間でのコミュニケーションがもう少し上手く取れたら祖母も母も共にもっと居心地がよくなるだろうに


いつもそう思っていました。

人が最期を語る時、ピンピコロリがいい!とよく言われます。


最期まで元気なままコロッとあちらの世界へ旅立ちたいという意味です。


でも、晩年の祖母をみていて私が思っていた事は罰当たりかもしれませんが

「元気過ぎない祖母でよかった」だったのです。


どうかネガティブに捉えないで下さい。


祖母の体はピンピンはしていないけれど、介護するのに程よくは動いてくれていました。

介添えをすれば自分で歩ける。トイレにも行けるし、ごはんも口まで運べば自分で食べる事が出来ていました。

そのちょうどいい活動量が、介護する側を助けてくれていました。



認知症の症状が無ければピンピン動けた方がいいに決まっています。

ですが認知症が進んでいる場合、例えば



元気が有り余って物を投げ飛ばしてしまう。

介添えの家族を突き飛ばしてしまう。

出て行って徘徊しようものなら元気な分だけ遠くへ行ける為とても危険。また介護する側もその分多く振り回されるこ

とになる。


このような事態が容易に考えられます。

ピンピン体がかえって本人や周囲の人々を心身共に傷つける事になりかねないのです。



だから

「ピンピンコロリを望む」だけでは駄目なんです。

そこに「脳の健康」が伴っていなければ駄目なんです。



脳が健康な高齢者がもっと増えれば本人だけでなく

そこに携わる家族や、介護従事者の方々も幸せになれます。



コミュニケーションが取れれば、皆のストレスが明らかに減ります。



祖母は病院に看取られました。眠るように逝きました。

誰と会話することなく一人静かにです。

それはそれで幸せな最期の迎え方だったと思います。



でも、私が望めるならば、体の健康もさることながら

亡くなる直前にお世話してくださった方に心からの「ありがとう」を言い残したいです。



だから、何より私自身は最期まで脳を守りたいと強く願います。




認知症は発症したら最後、自分で気づけなくなるし、判らなくなる事がとても怖いのです。


だから、それを出来るだけ抑制する活動や仕事を始めたいと思いました。


私は音楽、そして鍵盤を使って認知症予防=脳の活性化に積極的に取り組んでいきたいと考えました。


いつまでもコミュニケーションが取れて、健康で笑っている高齢者が目に映る世界に増えたならば


私はとても嬉しいし幸せです。  

                         江良みどり    



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